77T’s diary

看護職 シンママサバイバル いまに至るまでを振り返り綴ります

子連れでDV夫から離れる 1. DVの認識から脱出まで

夫がやたら怒る 何か考えようとすると夫のいいそうな事が頭に浮かび自分の考えが浮ばない 何かするときは許可がないとできない 実家への帰省も年2回までだと一方的に決めつけられる 意見の違いがあると、話し合いの途中で怒鳴ってその場から消える

私の古くからの友達を否定し、家族とコンタクトを取ると嫌な反応をする。

勝手に興奮して怒鳴って「どうして俺を怒らせるんだ」といつも。 姑もしたたかなマニピュレーターで私は気づかないうちに自分自身の考えや好きなことをすることに罪悪感なしではいられなくなっていた。みんな嫁は妻はこうなんだと思うほどに、それは私を飲み込んでいた。

 

そんな生活がおかしいと感じ始めたのは結婚して2年ほどした頃。

”夫 怒る”とググったら、モラハラのことについてのページがあり「これだ」とわかった。そして「DV夫は治らない。」と。

DV行動は結婚前は見せない。結婚し、相手のテリトリー(地元)に越し、子供ができ、いよいよ簡単に出ていかないだろうという状況が整った時からその本性が出てくる。

(結婚前に、危険サインはあったかもしれない。けどその時はただ、家を出るために結婚したかったから見て見ぬ振りをしたかも。家族は反対していたし。。)

 

ひたすら耐えることも考えた。うまく折り合いつけるようトライしたけど、子供に”男は女を泣かせていいものだ”ということを当たり前に思われたら嫌だと思った。

 

大変でも、幸せに生きよう。泣いてる母より、笑ってる母。やり遂げる母の姿を見せて、諦めない子になってもらいたいと思った。そしてそれが私の喜びでもあると。

 

そこから少しづつ、計画をし、実行していった。

もちろん、夫婦関係の修繕も試みた。離婚しないにこしたことはないから。

東北の震災が起きた時、たくさんの悲しみの報道を目にして思ったのは「離れたくない夫婦が死で引き離され悲しみに暮れているのに、私は死んでも悲しくならない相手と生きてる。死が分かつ前に離れようとしている」ということ。

淡々と準備した。断捨離のフリして実家に荷物を送り、部屋いっぱいにあった私物はやがてほぼなくなり、残ったのはPCと押入れ衣裳ケース数個になった。

 

そして、とある夕方。いつもの夫が戻る時間より前、しかも姑が留守な間に残った荷物を全て車に積んだ。そして出る支度をしていたところに早く戻ってきた夫。車に荷物が積んであるのを見たのだろう

開口一番「あれはないだろ!」

私は何を言い返したか忘れたけど、奴は一緒に行くと言い出して別の部屋に支度しに行った。そこを見計らって二人の子供を抱え車に飛び乗り実家へ走らせた。

 

夫から着信があり「気をつけて」みたいなこと言ってた。そう、モラ夫は相手が離れそうになると懐柔的な態度をする。うっかり戻れば二度と出られないことは勉強済み。

 

その後メールで実家はいいが、私の母方の家はダメだとか、色々私を脅かす文言が届いた。今思えば何様だって感じ。

 

脱出までについてはここまで。もう少し詳しく具体的に知りたいというリクエストがもし来たら、更に細かくしていきます。

この次は別居中にしたこと、調停、裁判、引越し、などを記録しておこうと思います。あれから5年以上が経つけど、同じような思いをしている女性の参考になればと思ったので書いています。どうか、自分と自分の人権を取り戻すよう立ち上がってください。

それなりに大変だし、不安もあるかもしれませんがきっと後悔はしません。